2016年8月

小さくて大きな抵抗

2016年8月29日

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7月、銀座の森岡書店で開かれたヨーガンレールの展示は、

 

彼の自然に対する真摯な想いにあふれたものでした。

 

かつての美しかった砂浜を愛していた彼は、波によって打ち上げられた大量のゴミに嘆き、

 

それを拾うことが日課となり、そのゴミを材料にして

 

色とりどりのオブジェやバッグ、キーホルダーを制作しました。

 

それらの作品はただ美しいだけではなく、

 

ヨーガンレールなりの文明への警告でした。

 

天井から吊り下げられたカラフルなオブジェを眺めながら、

 

このオブジェをどれだけ作ればゴミ問題に明るい兆しは見えてくるのだろう、

 

そんな思いが脳裏をかすめ、諦めにも似た無力感を感じました。

 

もしかしたら大量のゴミを目の前に、彼にもそんな思いが過ることがあったのかもしれません。

 

しかし彼は「ものを作ることを仕事にしているわたしの小さな抵抗」と、

 

本の中に記してあったように、愛犬と砂浜を散歩しながらゴミを拾い続け、

 

オブジェを制作することを最後の仕事としたのです。

 

自分のできることで環境問題を考え、関わってきたヨーガンレール。

 

自然を愛し、生活を大切にした彼の生き方が、

 

静かに優しく身体に染み入るようでした。

反戦画の存在

2016年8月15日

shuri

 

 

地上戦があった沖縄で育ったからか、「反戦画」を目にする機会が多くありました。

 

帰省した際に行く美術館には、県内出身の画家による反戦画が展示されており、

 

私はその暗く悲惨な歴史をまじまじと鑑賞する勇気などなく、

 

いつも心のどこかに罪悪感のようなものを感じながら、

 

足早にその作品の前を通り過ぎていました。

 

 

自分が「画家」を志すようになってから迎えた終戦の日。

 

今、絵を通して思うことは絵画、芸術の役割について。

 

そのひとつに「社会を反映する」という役割が芸術にはあるのだと、

 

反戦画の存在を通して思いました。

 

「戦争」という重たい歴史を題材に、描く、描かないは別として、

 

「戦争」を知ることは避けては通れないことで、

 

同時に近代の画家たちの歴史を知ることでもあります。

 

私自身は、プライベートな絵ばかり描いていますが、人が目を背けたくなるような

 

戦争の恐ろしさを描き、伝え続けようとしている多くの画家の決意と行動を

 

尊敬しています。

 

そして絵筆をもって自由に描ける平和な世の中であってほしいと痛切に願います。

平敷兼七さんの写真

2016年8月7日

heshiki-kenshichi

 


2008年に「山羊の肺」という作品集で第33回伊那信男賞を受賞された沖縄の写真家、

 

平敷兼七さん。

 

戦争に翻弄され続けた沖縄の人々の生きる姿を、平敷さんの愛情を持った視点で、

 

力強く切り取っています。

 

被写体の体温や声までも写し撮った平敷さんの写真を前にして、

 

自分がとてもまっとうな場所に戻ってきたような感覚になりました。

 

土臭いほどの「生」を正面から直視した作品は、観る者の感情に波風を立て、

 

思考させ、さらに昇華させてゆくだけの大きな力があると思います。

 

平敷さんの作品を通して、未だ答えの見つかっていない自分の背景にある

 

沖縄の存在への問いを揺さぶられ、

 

同時に平敷さんの作品の持つ力、生きた意味を見る思いがしました。

再開しました

2016年8月3日

drawing

 

 

blogを再開しました。

 

あまり更新しなかったblogですが、ここで心を入れ替えられるものなら、入れ替えて

 

まめに更新できるようにします。

 

毒づいたり、拙い文章でお目苦しい点も多々あるとは思いますが、

 

皆様、今後共どうぞ宜しくお願いします。

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